第1回(1月26日)

第2回(2月10日)

第2回「知っていますか?在日外国人の悩み。そこから見えるものを考えよう。」

先ほども申しましたが、1952年に外国人登録法ができたと。 それまでは朝鮮半島出身者と台湾出身者は日本国籍を持つ者として扱われながらも実態は外国人として扱われたと。 ですから公務員や教員は日本国籍を取らなければ辞めろと。日本の敗戦時議員になっている方も何人もいましたが結局は辞めろと。 そういう形で、外国人、日本人、日本国籍者、在留外国人という棲み分けをしていったわけです。 あまり法律の話しはしたくないのですが、今、劉さんが指摘された台湾出身者が昨年11月20日から実施されている新入国審査で、 指紋の押捺と写真撮影を免除されているのは、特別永住者という在留資格を持っているからなんです。 特別永住者というのは実は朝鮮半島出身者と台湾出身者、つまり日本の旧植民地支配下の出身者については、 特別の法律に基づいて在留資格を与えているからこれは除くと。そこで、劉さんは大陸出身者ですので、対象となる。 先ほど間嶋さんが指摘されたと思います。

私が、外国人登録法に基づく指紋押捺を市役所でしたのは高校1年のときですが、 その当時のことを大学生になって本を読みますといわゆる在日65万と言われているんですね。 これは在日韓国人、朝鮮人のことを指していると思われますが、それでも台湾出身者もいますのでその後減り続けていますが、 それについては、特別永住者の解説で説明しております。

今回の入管法の入国審査では、日本に住んでいて外国人登録を受け、写真を入管に提出し署名を行い、 そして日本から出国するに関して再入国の許可を受けている外国人に改めて指紋の採取と写真の撮影をするということですから、 すぐ隣にいる十年、二十年住んでいる日本人の配偶者、間嶋さんが説明されたように、 また、劉さんのように日本に住んで還暦を過ぎられている方でさえも対象となるわけです。

二百万人を越える外国人登録者数の中で45万人を除く、普段堂々と岡山市内を歩き、図書館を使い、バスに乗り、 皆さんと一緒に生活をしているその人々が、母親の病気で帰る、父親の死亡で帰る、 ハワイに旅行に行くあらゆる事で海外へ出て行き、戻ってくるときに指紋の押捺と写真の撮影をする。 これを強制しましょうという日本の態度には、私自身も実は残念に思います。 今回のことについては、本当にこのことを軽視しない方がよいと思います。

昨年12月25日の朝日新聞に在日中国人2世、神戸の林伯耀さんが「新入国審査『テロ対策』が生み出す分断」 を書いています。私が一番引っかかったのは、「学校帰りの私を待ち構える朝鮮人少年のゴンは、日本人より怖かった。 『おれは日本人、お前はシナ人』と土下座を命じられた。私は登校拒否児になった。 差別が差別を生む構造が私が生まれた京都府の田舎にもつくられていた。」 つまり、これは、1952年以前は、朝鮮半島出身者は対外的には日本人であり、台湾出身者も日本人扱いですが、 大陸出身の林さんに対して、「お前はシナ人、おれは日本人」、そういう位置関係ですね。 しかし、日本人の前ではその日本人と言っている朝鮮人少年ゴンは日本人とは扱われないわけです。 これを林さんは「差別が差別を生む構造だ。」という。そういう非常に苦い過去の歴史を踏まえて、 1992年にまず特別永住者から指紋の押捺が免除されました。ここでも特別永住者だけを廃止したんですね。 これが差別が差別を生む分断、つまり特別永住者とそうでない者との間で、「おれは特別永住者だ。お前は違う。」、 「おれは日本人だ。お前はシナ人だ。」こういう分断を生む構造が持ち込まれている。 私は必ずしもさまざまな制度的差別を受けている人々が差別をしないと思いません。 そういう者こそ強い側にすり寄りたがりますから。 おれは日本人だと言って自分より弱い者を抑圧するということは普段よく見ることです。 誰でも自分が差別を受けたくないですから、差別をする側に立ちたいわけです。 それを林さんは今回の新入国審査で特別永住者の者から指紋の押捺や写真の撮影を採られなかった、私たちは採られる。 先ほどの研修生も全部採られるわけですね。これがテロ対策が生み出す分断だと言っている。 私は、これで果たして多文化共生、多民族共生と言っている総務省の流れと法務省の入国管理局のやっていることは 一体どうなっているんだと思います。

もう一つ、1月25日付け毎日新聞に、スクープのように取り扱っていますが、「外国人登録制を廃止」と、 「総務、法務両省は、外国人登録法に基づく在留管理制度を撤廃し、」と、非常にいい方向に書いているかも知れませんが、 よく読むと外国人登録制を廃止したのであって外国人を登録する法律を廃止したわけではありません。 そして「両省によると、各自治体が発行し外国人が常時携帯を義務付けられている登録証明書を廃止し、 入国管理局が中長期の外国人滞在者らに対し、名前や住所、顔写真が入った『在留カード』を発行する。」 つまり、今まで市町村がやっていたものを入国管理局の方へ移すと言っている。 そしてそのカードに基づいて各自治体が新たな台帳を作る。台帳は、現段階では日本人と別の外国人専用の台帳となる可能性が高い。 そうでしょう。問題は、「在日韓国・朝鮮人ら特別永住者は、台帳制度には加えるものの、在留カードの対象外とされている。」 ここでまた外国人という者が一律ではないわけですね、外国人の中で、 特別永住者とそうでない者との管理の体制を変えるということです。

はい、1992年に特別永住者の指紋押捺制度が廃止されました。 2002年にすべての外国人から指紋押捺制度を廃止しました。この果実を今回すべて手放したと私は思っています。 なぜなら全ての指紋を照合するという前提がなければ指紋というものは本当は有効ではないんです。 日本人が他の日本人になりすますということはよくあることです。住民票や戸籍においても、完璧な外国人登録法、 完璧な住民基本台帳にするためには、ものすごい管理システムとチェックシステムが必要で、 そこまでして本当に住民を管理し、登録する必要があるかどうかという議論は別としましても、 せっかく外国人登録法という法律において、指紋の押捺制度を廃止したというすばらしい成果が1992年、 2002年とあったのに、わずか15年目にして今回入管法において指紋の押捺と写真撮影を実施してしまった、 ということについて、私はやはり100万人を越えたと大騒ぎしていた十数年前に比べ200万人を越えた現在 こういうことが行われたことについては、特に在留外国人に接する立場にある方々は是非こういうことについての事実を 知っていただきたいと思っています。

川口

はい、この問題は非常に重要な問題だと思います。 先ほど姜さんの話しの中にでてきました朝日新聞の林さんの中の言葉を借りれば、今の指紋採取と顔写真の撮影が 義務づけられたということについて、林さんが主張されていることを紹介して次に移りたいと思います。

「問題点の第一は、指紋や顔写真は個人を表現し特定する生体情報であり、強制収集は人の自尊を著しく傷つける。 第二に、外国人はテロリスト予備軍、潜在的犯罪者というイメージを社会に植え付け、日本と世界の市民の心の交流を阻害する。 第三に、この制度は永住許可を得た『一般永住者』である外国人にも適用される。」この三点を問題点として挙げておられます。

それからもう一つの外国人登録制度の問題を姜さんにお話していただきました。私がちょっと試したといいますか。 これから確定申告の時期に入りますが、新聞の広告にe-Taxいわゆる電子申請をすると最高5000円の税額控除が受けられますとある。 ところが、その前提として住民基本台帳カードの申請をして電子証明書を受けなければなりません。 そこで市役所の市民課に電話をし、「外国人である私は、住基カードの申請が受けられますか、」と尋ねると 「外国人は受けられません。」と言われるので、「私は税金もきちんと支払って日本で暮らしている。 日本人は5000円の税額控除が受けられて、外国人が受けられないのは不公平ではないですか。」と言うと、 「それは税務署で」と責任逃れな回答であった。「こんなことを言われたのはあなたが初めてです。」と、 「一市民が声をあげてもどうにもならないことに市としてすべきことがあるのではないですか。不平等と思われませんか。 市として県なり国にこういう問題点があるということについて、要望書を出すなり、意見書を出すなりすべきではないですか」 というと返答がなくなってしまいました。そういう問題があります。

勝手に外国人になりすます日本人がいるとは思いませんでした。(笑) 先ほど間嶋先生が指摘されたことですが、外国人の者が岡山市内で住所を変更したり市外から転入した場合に、 私は岡山市古新田に住んでおりますので、福田支所になります。 福田支所で外国人登録をしているわけです。私は岡山市に外国人登録をしているのではなく福田支所にしている。 現在国の事務と地方行政の事務というのは結局細かいことは決めていないんです。 (※注 外国人登録事務は、国による旧機関委任事務で、現在は法定受託事務)岡山市は合併を繰り返しましたね。 そのために旧福田村役場であるとか、妹尾町役場だったわけで、台帳原本はそれぞれの支所、私の場合は福田支所にあって、 岡山市本庁は知らない。だから西大寺支所に行っても手続できない。 日本人の場合は住民基本台帳カード以前から住民基本台帳法というもので岡山市全体の住民を把握している。 「これはなぜなのか。」と一度聞いたことがあるんです。すると、「法律で決まっていません。岡山市はそうしています。」 と言うんです。ですから岡山市外国人市民会議の委員の方にはがんばってほしいんです。 つまり普通に不便なことは言わないといけない。駅とか観光地に行くと多言語になっているように。

生活をしている外国人から見て不便なことが何なのかということがスムーズに行政に届くようにしてほしい。 岡山市は住民基本台帳と同じようなものを作ればいいんですよ。住民基本台帳法に基づかなくていいんですよ。 8千人の外国人のために何かシステムを作ってくれればいい。日本人の住民票と同じように出してくれればいい。 外国人登録はそういう声があったのでこうしましたというが、それを入管に全部資料を持って行くんです。

e-Taxの件で外国人が申し入れをしたが、それが実は日本人であったということが恥ずかしい。 なぜ外国人自身が声を挙げなかったのか。

川口

今までの発言は、行政に対する批判ということではなく、こういう問題点があると受け止めていただきたいと思います。

それでは、日本人の目から見た各種行政施策において、在日外国人はどういう悩みをもっておられると感じられていますか。 入管実務を通して間嶋さんお願いします。

間嶋

入国審査に関係したことですが、過去に日本に在留していて、例えば、タレントで入国して退去強制で無理矢理帰国する場合、 必ず写真と指紋を全部採っています。実はそういう方が名前を変えてまた日本人の方と結婚して日本に在留している。 子どももいます。2年、3年、何年も暮らしている方々が結構います。

ところがこの指紋採取制度では、いったん日本を出国してしまうと日本に帰ってくることはできません。 そういう事態が起きており、現実そういう相談がきております。はっきりはわかりませんが、 千人、2千人というそういう規模で起こってくるのではないかと感じています。

川口

ありがとうございました。入野さん、外国人女性と日頃接して何かございませんか。

入野

はい、非常に大きな問題を皆さん提起されていますが、私が最近思うのに飲酒運転の禁止されたことにしても 被害者支援にしても市民の動きが非常に大きな力になって行政とか政府を動かしているわけです。 私は、やはり市民一人ひとりがこういう大きな問題にももちろん関わり、そして日々の暮らしの中の問題にも、 この両方から同時に関わっていくということが必要ではないかと思います。

その日々の暮らしの中から今日は2点言わせていただきます。教育の問題について。 行政施策で非常に抜けている部分だと思います。日本に来て出産をして、外国籍のお母さんは日本語が定かでなく、 小さな子どもができて本当に閉鎖された現状の中で孤独感に打ちひしがれていらっしゃる方もいらしゃいます。 親御さんと一緒に外国から日本の学校にきて日本語がわからない、それでいじめにあう、 それから自分が持って帰る学校通信をお母さんが読めないから自分が読んであげないといけない、 そうすると学力は伸びないし、その子の母国語、母国の文化も身につかない。 日本に来て日本語と日本の文化も身につかない、アイデンティテイが育たない、それなのに学校教育を終わらざるを得ない、 すると進学はもちろんできません、就職もできません。それで実際、犯罪に関わる子どもたちが岡山でもいると聞きました。 義務教育なのですから国籍に関わらず、ここにいる子ども達が豊かな人間に育っていくために社会と私たち大人は 責任があるわけです。私たち市民レベルも働きかけて何らかの手を打っていく必要があると思います。

それからもう一点。一人の方がおっしゃったのは、「子どもに、選挙の時期になると学校の回りを選挙カーが 宣伝して回っているし、テレビにも選挙の報道がなされているで、『なぜお母さんは選挙に行かないの。』と聞かれます。 私、税金を払っているのに、なぜ選挙権がないのですかね。」ということでした。 「あっそうか。」と、それをただそういうふうに聞いてはいけないのです。選挙は政治に直接働きかけられる国民の権利です。 年齢も性別も関係なく先陣達の努力によって獲得した権利なのですが、 同じように生活の主体者としてともに暮らしている人達にそれがないのです。 どうやって政治的なものにアクションがかけられるのでしょうか、選挙権がないというのは意味が深いと思いました。 そこで、入管のホームページを見たら、在日外国人は管理される立場と明文化してあります。 隣に住んでいるあなたは管理されてるのよ、というのはすごくおかしいと思います。 明文化されているということ自体がいろいろな問題を生んでいるのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。

川口

ありがとうございました。いじめの問題、差別の問題、外国人の選挙権の問題が提起されましたが、時間も押してきましたので、 3分間だけ姜さん、特に管理されているという点についてコメントをお願いします。

私は高校までは日本名というか通称名を使っていて、市役所で指紋を採られる時も市役所の職員が隠してくれる、 「こっちへおいで。」と、それに感謝した、回りの人に指紋を採られるところを見られない。 ところが、大学へ行って自分が何者かということを考えた。おかしいことがおかしいと見えた。 なぜ指紋を押さなければいけないのか、堂々と押してやるという気持ちになる。 隠すのではなく、市の職員にどう考えているのかと聞きたい。20歳のころは行政の職員にきつくあたったが、 今は、見えないものには気づかないのだから、大きな壁、溝がある。想像力を発揮しなければいけない。 管理されている点については、私はもう52歳をすぎたので、ゆるくなったとしかいいようがない。 昭和30年、40年代の話ですが、外事課というのがあって、警察官がいつも来ていた。 あれは誰と言ったら、刑事だ、刑事が家に来る家ってどんな家ですか。生身で私が経験した管理の実態です。

それを法律でみると管理するということがいっぱい書いてある。30年前の事は終わったことだというと、 現在の事は決して見えません。なぜかというと、岡山市に限らず全国で、国籍条項をもって公営住宅の入居を認めていなかった。 33年前、国民年金にも入れなかった。国民でないという理由で。 そういう国籍の壁を打ち崩すためにいろいろな運動があったというだけでなく、世の中が変化していった。 参政権の問題でいうと、中身は変えるものだ、選挙権は日本国民に与えると書くか、日本に住んでいる住民に与えると書くか、 多数者の側が決めるしかない、少数者が常に正しいとは限らない、多数者の人が少数者の立場を想像するしかない、 想像力を発揮するためには何が必要かと考えることが共生を考えるキーワードとなると思う。

当時私は実感して管理されていた。警察がよく来た。市役所で指紋を採られた。外国人登録を持たされた。 そのことを周りに言えなかった。見られたどうするのですか。 大学に行った時に、指紋は堂々と押してやる、運転免許証は堂々とみせてやる、この名前で生きるしかないということです。